フィギュアスケートの紀平梨花選手の卒アル文集がすごい!と話題になっています。
紀平選手は、先日行われたグランプリファイナルで、平昌オリンピック金メダリストのアリーナ・ザギトワ選手を破って優勝しています。
日本人シニア一年目でブランプリファイナルを制覇するのは、浅田真央さん以来13年ぶりということで、本当に素晴らしい結果を残していますよね。
そんな紀平選手の卒業アルバム(卒アル)の文集に注目が集まっています。
また、幼少期のエピソードも交え、紀平選手のすごさの理由に迫っていきたいと思います。
目次
紀平梨花プロフィール
紀平梨花(きひら りか)
生年月日:2002年7月21日
出身地:兵庫県西宮市
血液型:O型
3歳の時に家族でアイスリンクに行き、スケートと出会った紀平さんは、5歳にスケート教室に入り練習を始めます。
その頃は「スケート一本」というわけではなく、他にバレエや体操、ピアノなど、幅広い習い事をしていたようですね!
現在は現役女子高生ということで、N高等学校に通いながら「関西大学KFSC」というクラブに所属し、練習を積んでいます。
◆紀平選手の主な実績
- 2015年10月23日 第19回全日本フィギュアスケートノービス選手権 Aクラス(西東京市)1位
- 2016年3月23日 2016年トリグラフトロフィーノービスクラス(イェセニツェ) 1位
- 2016年8月31日 ISUジュニアグランプリ チェコスケート(オストラヴァ)2位
- 2016年9月21日 ISUジュニアグランプリ リュブリャナ杯(リュブリャナ)1位
- 2017年8月2日 2017年アジアフィギュア杯ジュニアクラス(香港)1位
- 2017年9月6日 ISUジュニアグランプリ リガ杯(リガ)2位
- 2017年10月11日 ISUジュニアグランプリ エーニャ・ノイマルクト(エーニャ/ボルツァーノ)3位
- 2017年11月24日 第86回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(前橋)1位
- 2017年12月20日 第86回全日本フィギュアスケート選手権(調布)3位
- 2018年9月19日 ISUチャレンジャーシリーズ オンドレイネペラトロフィー(ブラチスラヴァ)1位
- 2018年11月8日 ISUグランプリシリーズ NHK杯(広島)1位
- 2018年11月23日 ISUグランプリシリーズ フランス国際(グルノーブル)
- 2018年12月6日 2018/2019 ISUグランプリファイナル(バンクーバー)
(引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E5%B9%B3%E6%A2%A8%E8%8A%B1)
紀平梨花の卒業アルバム(卒アル)の文集がすごい!【画像】
そんな紀平選手の卒業アルバム(卒アル)の文集がすごいと話題になっています。
実際の紀平選手の文集がこちら。
細かい文字までは見えませんが、かなり几帳面に丁寧に書いてあることが見てとれます。
この文集は、紀平選手出身の大社小学校では”伝説”とまで言われている文集だそうで、紀平選手の強さの理由がよくわかるものとなっています。(※小学校の嘉数彰教頭が、紀平さんご本人了承のもと文集を見せてくれたようです!)
残念ながら、この文集の全文についてはネットでは出回っていませんが、要所要所の記載内容については、大手ニュースサイトが取り上げていましたので、その内容をご紹介したいと思います。
まず、文集の冒頭部分は、当時自身最高得点で近畿大会3位になった際の紀平選手の気持ちが描写されています。
そのしゅん間、私は変わった
私の心を大きく変化させた
明るい未来が見えた気がした
(引用:http://news.livedoor.com/article/detail/15747412/)
独特な語り口調ですが、紀平選手の中では、この大会を通して明確な手応えがあったことが窺える内容となっています。
そして文集は、次のように続きます。
NHK杯の花束ガールというものに呼ばれた。この前までの自分にとって、とても遠く、あこがれの仕事だった。(中略)たくさんのトップスケーターを近くで見て、また私は大きく成長した。将来、私はその場所で花束をたくさんもらえる選手になる
(引用:http://news.livedoor.com/article/detail/15747412/)
花束ガールとは、トップスケーターに花束を持っていく役割を担った子どもたちのこと。
紀平選手が「憧れ」と言っていることから、一定の成績を残した子どもたちから選ばれるのでしょう。
そして、注目すべきなのは「将来、私はその場所で花束をたくさんもらえる選手になる」と断言しているところです。
野球のイチロー選手や、サッカーの本田圭佑選手の小学校時代の文集でも、同じく断定系で書かれていることでも有名ですが、「なりたい」ではなく、「なる」という言葉から、強い信念が窺えますよね。
そして、この4年後の今年(2018年)、紀平選手は広島で行われたNHK杯に初出場を果たし、優勝を決定づけたフリーの演技後、リンクに多くの花束が投げ込まれ、文集に書いた夢は現実になったのです!
紀平選手の小学5年、6年時代の担任を務めた柴田春香教諭は、当時の紀平選手の印象を以下のように語っています。
すごく芯が強い子。やらないといけないことはきっちりと取り組むけど、ピリピリした雰囲気を出さず、柔らかさがありました。強い気持ちなのに、いつもニコニコしていました
(引用:http://news.livedoor.com/article/detail/15747412/)
紀平梨花の幼少期の驚きのエピソードとは?
紀平選手といえば、幼少期のエピソードが有名です。
紀平選手は『ヨコミネ式教育法』を採用する広田幼稚園で英才教育を受けていたと言われています。
『ヨコミネ式』とは、プロゴルファー・横峯さくらさんの父が考案した教育法で、子供の可能性を引き出すことを目的とした育成法のことです!
紀平選手は、この教育法と、持ち前の才能から、幼少期の頃より運動神経が抜群だったと言われています。
そのエピソードをいくつかご紹介いたします。
逆立ち歩きができた
なんと、幼稚園卒園児には、紀平選手は逆立ちして歩くことができたのです!
幼稚園児で逆立ちできるだけでもすごいのに、その状態で歩けるなんて、驚異の運動神経ですよね。
片手で側転ができた
こちらも、幼稚園のエピソードのようです。
側転なんて、両手でも難しいのに、紀平選手は片手でできていたというのですから驚きです。
こちらで、その映像が見れます!(6:10~です)
跳び箱8段が跳べた
そして極めつけは、幼稚園時代に跳び箱8段が跳べたというものです!
文部科学省規定の跳び箱では、小型・中型・大型の3つがありますが、幼稚園や小学校で使われている跳び箱は「小型」のものだと言われています。
この小型の跳び箱8段の高さは、100cm!!
幼稚園年長の女の子の平均身長がおよそ115cmですから、紀平選手は自分とほぼ同じ高さの跳び箱が跳べたということになりますね。
この驚異の跳躍力は、現在のフィギュアスケートでも活かされているのでしょう。
紀平選手も、現在の活躍について「幼稚園の頃の(経験の)おかげ」と話しています。
まとめ
紀平選手の文集がすごいと言われている所以は、夢を断定しているところ、そしてその夢を実際に叶えているところです。
幼少期から、体操の授業が多い幼稚園で英才教育を受けていた紀平選手は、自身の努力もあり、現在素晴らしい成績を残しています。
現在まだ16歳とお若いですので、これからの活躍が非常に楽しみな選手といえますね!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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